その2「担任教諭の入学式欠席問題 公と個、浮かぶ本質論」について思うこと

ipnetj   2014/04/27   その2「担任教諭の入学式欠席問題 公と個、浮かぶ本質論」について思うこと はコメントを受け付けていません。

「公と個、浮かぶ本質論」についてもう少し。
私のそばにいる元教師のパートナーは、こんな場面ならやっぱり子どもたちを優先すると。そういえば我子の運動会や発表会は確かに行ったことがなかったけど、入学式や卒業式は事前に校長にいうと配慮してその学年には当てないというルールのようなものがあったようです。
それぐらい学校の先生は、子どもたちのことを考えているのです。でも近年ずいぶん変わってきたなと思うことがあります。
教師がモンスターペアレントを裁判に訴えたり、行政改革で退職金が減額になると決まるとそれまでに辞表を出して減額を逃れるなど。どれも教員なのにとせめられるものではありません。
ただ教員の仕事が厳しくなってきているのは事実。割り切りたい気持ちも理解できます。
学校は今、ブラック企業とか、教育土方という肉体労働の場とすら噂されています。
昔は学校の先生はいいねとよく言われたものです。公務員で安定していて、給料もほかの公務員より割増しで、しかも夏休みがあってと。研修費もあったし図書費も支給され、体育の時間用にジャージや運動靴も支給されていました。組合も力があったからか特休や産後の時短など労働基準法に定められていることがきちんと保障されていました。休憩も教員は、お昼も給食指導で実質ありませんが、終業前にずらして早めに帰れるというのもありました。
いつしか財政危機が叫ばれ、真っ先に切り捨てられたのが教育費です。
研修費や図書費、ジャージなどの支給が打ち切られ、教員の中に占める非常勤の割が増え民間とかわらなくなっても仕事の時間は増えて、サービス残業、持ち帰り残業が通常です。教員給与法で教員の残業は禁止され残業代は支払われないことになっているのに残業は蔓延しています。労働条件も悪化してきました。
保護者対応が急激に増え、本来の教育研究や授業準備もサービス残業で行うようになってきています。
障害の軽度の子供は、介助の先生もつかないことがありますが、クラスを落ち着けるのにフラワースタンドにポットを買って花を植えると子供が落ち着くことがあります。でもそんな苦労は自腹で経費は出ません。勝手にしているといわれたら仕方ありませんが研究授業の材料さえ自腹です。
よく民間を見習えということを聞きますが、それなら経費は、会社持ちというのが本筋ですがそういうことは目をつむり他のことは、民間並みというのはバランスを欠きます。さらに最近は地域連携とか地域に開ひらかれた学校といわれて、夜の時間外に校長命令で住民との会議に出席するなど、残業代も出さないのに命令とは?という状況。ブラック企業といわれる理由です。
子どもたちのためにとがんばっている教員をこんなに粗末に扱ったら、聖職論も色あせてきます。公か個かという問題を作り出しているのは先生の責任ではなく教育委員会や文部省の問題ではないかと思います。子どもたちに良い教育をしたいと思う教師は多いはずです。教師冥利に尽きる仕事ができたら教師といての喜びや聖職者といての献身的な努力にもつながるはずです。
公か個かを論じる以前に体制や労働環境の問題があるのではないでしょうか。