平家の母栖集落へ

ipnetj   2012/03/17   平家の母栖集落へ はコメントを受け付けていません。
今日は、久々の1日休暇をとり、平維盛(たいらのこれもり)の妻、富士の局とその家来がのがれ住んだといわれる母栖集落へ行ってきました。昔は12軒ほどあったと言う集落も、今は4軒が残るのみで住まいしておられる方は1軒のみになってしまいました。
細い山道を登ると、下界ははるか下に見える山の上です。そこにはこの集落しかありません。集落の中は、人が一人通れるぐらいの小道が、張り巡らされています。今は家が無いが、石垣が積まれ柱やかわらの残骸、五右衛門風呂の釜が残っていたのが、ここに家々があった事を忍ばせてくれました。一番上に、山上神社と言うお宮さんがこの集落を守っていてくれていたのでしょうね。拝んできました。
1軒だけ残る、Nさんとお話しする機会を得る事が出来ました。
お年からは想像できない肌のはり、つや。水がいいのかとてもお若く見えました。集落にまつわるいろいろな話を聞かせてくれました。
昔からこの集落は13軒より家は増やさないと言う決まりがあったとか。その理由は、食糧生産との関係からだそうです。
以前、南フランス・プロバンス地方のセベンヌエコミュゼに視察に行きましたが、そこの村は、水の出る量で人口が規制されていると聞きました。ヨーロッパは水は貴重です。自然の許容範囲で人々が暮らしている様子を地元のインタープリターの方が教えてくれました。
昔はまさに自給自足の暮らし。ましてや平家の流れを汲むものとしては、周りから遮断して身を潜めていたのでしょうから、大規模な村に出来なかったでしょうし畑にする土地もあまり無い急斜面地の集落です。
観光地でもない、いつかはなくなるかもしれない集落。
そういうところに本当の町づくりのヒント、持続可能な社会の秘密が隠されているはずです。何百年と言う自給自足の社会を持続してきたのですから。
今の社会にあったやり方のヒントはこういうところにあると思っています。
今よく言われる過疎地の町づくりは大切な何かを避けて、うわっぺらの町づくりに走っているような思いがしています。